はじめに

「はごろもケアステーション」を創った動機は 【孤立支援 孤立予防】と【死生観の向上を図るため】です。

『死生観の向上』と言われてもピンとこない方は多いと思います。 20歳の女性のクライアントさんから届いたメールを、本人の了解を得て紹介します。
これをお読み頂ければ、きっと通じると思って・・・。

2歳の時、目の前で父親が倒れ、死にゆく様子を母に負われて体験し、 おんぶされながら自分も父親の体を撫でていた感触をありありと覚えているのに、 後に「悲しかった」と言っても 「あなたは小さかったから覚えてないでしょう」と大人の人たちに言われ、 「悲しみを否定されて 無かったもののように扱われた」強いトラウマが癒された方です。
去年の今頃は、死に対する恐怖と拒絶が強かった方からのメールです。

子ども同士が仲良しで、母親同士が仲良くしていたご近所の方との交流から学んだそうです。

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ここ1週間の中で、とても貴重なことを2つ学んだので、ぜひ高橋さんとシェアしたいと思いました😊
これらは、癌を患って死が近い知り合いに読み聞かせに毎日行くようになってから得た気づきのお話しです。
時間があるときに、気が向いたら見てみてください😊

1つ目は「無償の愛」で 2つ目は「死」についてです。

「無償の愛」

陽菜子さん(仮名)は癌で、
2週間前には週末を迎えられるかわからないとお医者さんから伝えられたような状態です。 これ以上は治療ができないとのことで、陽菜子さんの旦那さんのご両親の家で、家族みんなでケアをしています。
先週、母と2人で会いに行ったときはもうすでに喋ることはできず、瞬きもほぼできないような状態でした。 その次の日から毎日陽菜子さんに会いに行くようになった私は、陽菜子さんの家族がケアをしてあげてるところをみながら、とてもたくさんのことを学ばせてもらいました。

陽菜子さんは、ベッドの上でほとんど体のコントロールができない状態で、今までとは違う姿でも、家族のみんなはいつもと変わらない様子で愛をもってケアをし、声をかけていました。今までずっと見てきたわけではありませんが、それが私には分かりました。
家族の皆はとても強く、揺るがない深い愛をもっている方達なんだなと思っていました。
陽菜子さんの手を握った時、温かい愛を私は感じましたが、これは陽菜子さん自身から溢れる愛と、ご家族からの愛が陽菜子さんを通して、手から私に伝わったのかなと思いました。

誰かを愛するのに、その人がどんな姿か、どんなことができるか、は関係ないのだと気づかされる体験ができたのは、一生の宝ものです。

「死」

死が近づいている人がそばにいることで、死について考えることが最近多くなっていました。
今日は、今までモヤモヤと考えていたことがとてもクリアになりました。
それは、今まで話に聞いたことはあったかもしれませんが、ちゃんとは理解できていなかったことです。

まず、「死」と「お別れ」は別の概念だということに気づきました。
永遠のお別れは悲しいものですが、 死には、生から旅立つ、卒業式のような意味が含まれていると思います。
つまり死は、「生きてきた証」であると思いました。 それは尊い瞬間なのだという見方に変わりました。
そして、「死を祝福する」ことは、「生きてくれたことに感謝する」ことなのだと。
生と死が両方あって 命なのだと思いました。
だから、「生きて」ではなく 「今を生きてくれてありがとう」 と私は大切な人に伝えたいです。